高知地方裁判所 平成7年(ワ)97号 判決 1998年5月11日
原告
濵田敬子
外四名
右五名訴訟代理人弁護士
藤原充子
同
小泉武嗣
被告
高知市
右代表者市長
松尾徹人
右訴訟代理人弁護士
松岡章雄
右指定代理人
山岡幹雄
外一名
被告
国
右代表者法務大臣
下稲葉耕吉
右指定代理人
鈴木博
外一三名
主文
一 被告高知市は、原告濵田敬子に対し、金一一六三万八三七七円、同濵田茂に対し、金六六万円、同濵田知秀、同濵田昇秀及び同濵田知佐に対し、それぞれ金四〇二万二七九二円並びに右各金員に対する平成六年一二月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告らの被告高知市に対するその余の請求をいずれも棄却する。
三 原告らの被告国に対する請求をいずれも棄却する。
四 訴訟費用は、原告らと被告高知市との間に生じた費用は、これを五分しその四を原告らの、その余を被告高知市の各負担とし、原告らと被告国との間に生じた費用はすべて原告らの負担とする。
五 この判決は、第一項に限り仮に執行することができる。
事実及び理由
第一 請求
被告らは、連帯して、原告濵田敬子(以下「敬子」という。)に対し、六〇五五万八〇五九円、同濵田茂(以下「茂」という。)に対し、三八五万円、同濵田知秀(以下「知秀」という。)、原告濵田昇秀(以下「昇秀」という。)、同濵田知佐(以下「知佐」という。)に対し、それぞれ金二〇九六万九三五三円及び右各金員に対する平成六年一二月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二 事案の概要
一 訴えの類型
本件は、溺死した亡濵田眞孝(以下「亡眞孝」という。)の遺族が、亡眞孝は被告らの管理する橋の欄干が破損していたため、そこから転落して同所付近の川の中で溺死した(以下「本件転落事故」という。)として、被告らに対し、国家賠償法二条一項に基づく損害賠償を求めた事案である。
二 前提事実(争いのない事実及び証拠(甲一、二、六ないし九、一一、一二、一四の1ないし7、二〇ないし二六、四二、四三、丙六、七の1ないし4、一八、二一、二三、鑑定結果、証人近森正幸(以下「近森」という。)、同矢野嘉秀(以下「矢野」という。)、同上野正彦(以下「上野」という。)、原告茂)により容易に認定できる事実)
1 亡眞孝及び原告ら
亡眞孝は、昭和二七年二月一八日生(死亡時満四二歳)であり、大学卒業以来、高知市内に本店のある銀行に勤務し、本件転落事故当時、高知市内の支店で次長職についていた。
原告敬子は亡眞孝の妻、同茂は実父、同知秀、同昇秀及び同知佐は子である。
このうち、原告敬子、同知秀、同昇秀及び同知佐は亡眞孝の相続人であり、原告敬子は二分の一、その余の三名は各六分の一の相続分を有する。
2 亡眞孝の死因及び死体等の状況
亡眞孝は、平成六年一二月三〇日午前〇時ころ、高知市はりまや町一丁目一四番一一号所在の幡多倉橋北詰東側欄干及び幡多倉橋北側を東西に通る一般国道五五号(以下「国道」という。)の区域内の護岸(以下「国道護岸」という。)に取り付けられた長さ合計約4.7メートルにわたる欄干の破損箇所(以下「本件欄干破損箇所」という。)付近、又は他の堀川及びそれと接続している新堀川、江の口川の護岸等から何らかの事情により転落し溺死したものである。
亡眞孝の死体には、①右手、左手の各挫創、右膝の擦過傷、②左手首の線状擦過傷、③左前額上外側部にクルミ大赤褐色を呈する表皮剥脱を伴う擦過打撲傷、④左頬上部には鶏卵大赤褐色を呈する表皮剥脱(擦過傷)、⑤左肩甲部上面に赤褐色を呈する小表皮剥脱を伴う打撲傷等の生前に負った傷跡がみられたが、いずれも右傷害自体は、生命に影響を及ぼす重大なものではなかった。
また、亡眞孝が溺死体で発見された時の着衣等の状況は、ズボンの右膝部(数か所)、ズボン下右膝部(一か所)に小さな破損があり、左靴背面(上側)内側の縫合糸が切れ、ズボンの臀部、右下肢内側の広範囲に泥土(ヘドロ)が付着していた。
3 亡眞孝の足取り
亡眞孝は、平成六年一二月二九日午後六時三〇分ころから同八時三〇分ころまで、高知市中心部の繁華街で開かれた取引先の忘年会に出席し、その後、二次会としてスナックで午後一〇時三〇分ころまで飲酒したうえ、更に、三次会として職場の部下を連れ立って高知市帯屋町一丁目所在のスナック「AアンドA」(別紙地図A地点)で飲酒した後、高知市に隣接する南国市の自宅に帰ろうと右スナックで、自宅に居た原告敬子に電話を掛けて迎車を請うた。そして、亡眞孝は、同日午後一一時四〇分ころ、自家用車で迎えにくる原告敬子と落ち合うため、部下と共に右スナックを出て、右スナックから西方向に進み、最初の街角(南西角には「パチンコセンタータマイ」(別紙地図B地点)がある。)で部下と分かれ、その角を左折して南下した。その後、亡眞孝は、行方不明となり、翌朝の午前七時一五分ころに、幡多倉橋北詰東側の堀川、すなわち、幡多倉橋の東側の欄干の直下から東方に約3.5メートルの地点の水中にうつ伏せの状態で溺死体となって浮かんでいるところを通行人に発見されることとなった。
原告敬子は、同月三〇日午前〇時五分ころ亡眞孝と落ち合う場所に到着し、三〇分程待機していたが、亡眞孝が現れないため、一旦帰宅し、午前二時三〇分ころに、原告茂を伴って高知市内に戻り亡眞孝を捜索したが発見できなかった。
4 原告らが、亡眞孝が転落したと主張する場所(以下「本件現場」という。)の状況
本件欄干の破損前の形状は別紙構造図のとおりであった。幡多倉橋北詰東側の北端に存する石柱から南に約0.6メートルの地点の管理境界区分表示を境に、南側の欄干(幡多倉橋親柱、壁高欄)は、幡多倉橋欄干の一部で、被告高知市が管理する営造物であり、北側の欄干(石柱、中間支柱及び笠木)は、幡多倉橋の北側を東西に通じる国道の区域内の護岸に取り付けられた欄干の一部で、被告国の管理する営造物である。
訴外山中孝夫は、平成六年一二月一七日午後一〇時五分ころ、普通自動車を運転して南進していたが、脇見運転により右自動車を本件欄干に衝突させ、その結果、本件欄干は、次のように破壊された。
すなわち、本件欄干は、北端の石柱及び中間支柱の土台を残すのみで、右管理境界区分を境にして、南側の欄干が約4.1メートルの範囲で、北側の欄干が約0.6メートルの範囲で、南北に合計約4.7メートルの間が破損し、その状態は概ね別紙検証図面記載のとおりであった(但し、別紙検証図記載の「割れた橋脚」の位置は「水管橋の土台」の南端よりも北寄りである。)。
更に、本件現場付近の状況は、幡多倉橋及び国道護岸の路面とその東側の河床との高低差が、右管理境界区分表示のあるあたりで2.7メートル(それより南側で約2.8メートル)あり、その他水管橋(水道管及びそれを支える橋台)が、幡多倉橋東側の堀川の川面上を南北方向に通り、幡多倉橋及び国道護岸と水管橋台西端との位置関係、距離等は、別紙横断図及び平面図のとおりである。
5 本件現場付近の河床の状況
亡眞孝が川に転落したとされる平成六年一二月三〇日午前〇時ころ、本件現場付近、特に本件欄干下から水管橋の橋脚の間は河床が露出した状態にあり、その後上げ潮により、河床は徐々に潮が満ち、同日午前〇時五〇分ころ地表が水没した。
6 本件欄干破損後の被告らの管理
被告らは、前記物損事故を発生させた山中等から本件欄干の破損について、通報を受けていなかったこともあって、本件欄干の損壊に気づかず、右事故から約一二日間、右欄干の修補並びに転落防止柵、欄干の破損を示す表示及び警告灯の設置等の措置を講じていなかった。
三 当事者の主張
1 原告ら
(一) 亡眞孝の転落場所
(1) 事故の特定
亡眞孝は、前記前提事実3のとおり、原告敬子との待ち合わせ場所に行くために一人で、国道の南側歩道を西から東に歩行し(別紙地図及び同経路説明書③の経路)、又は、幡多倉橋を南から北に渡り(別紙地図及び同経路説明書④の経路)本件現場に至った。亡眞孝は、当時付近が暗かったため、本件欄干が破損していることに気づかず、平成六年一二月三〇日午前〇時ころ、本件欄干の破損箇所のうち、別紙鑑定図1記載のA(縁石のない場所、管理境界区分によれば被告高知市が管理する欄干破損部分)から、別紙鑑定図2記載の状態で堀川に転落し、転落の際、左前額部打撲、挫傷等の傷害を負った。亡眞孝は、転落したときには干潮のため河床に水がなかったことから直ちに溺死することはなかったが、頭部打撲、挫傷により意識不明の状態、又は意識があっても体を動かすことができない状態であったため、同日午前一時ころ、徐々に満ちてきた水を吸い込んで溺死した。
(2) 亡眞孝の転落から溺死までの経過時間
亡眞孝の転落した本件現場は、当時、河床が露出しており、亡眞孝が転落し、そこに潮が満ちてきて溺死するまでに約一時間掛かった。被告らは、亡眞孝の転落から溺死までの時間は約五分であるとして、当時水がなかった本件現場付近の河床は転落場所ではないと主張する。
しかし、①水を少しずつ吸引し徐々に溺死に至った場合、溺死体の口から細小白色泡沫が多量に漏れる特徴があり、亡眞孝の死体にもその所見が認められること、②打撲した部位には、生体反応によって時間の経過と共に腫れるが、亡眞孝の左前額部の擦り傷は、傷の周囲が大きく瘤になって腫れており、亡眞孝は負傷してからしばらく生存していたとみられること、③人が真冬に直接水中に転落したならば、溺死することなく数分でショック死する可能性が大きく、亡眞孝が溺死していることは、亡眞孝が直接水中に転落していないことを裏付けることから、亡眞孝は転落してから溺死までに一定の時間が経過していたのであって、被告らの主張は理由がない。
(3) 亡眞孝の外傷の状況と本件現場との整合性
亡眞孝が、幡多倉橋欄干破損箇所(別紙鑑定図1のA部分)から別紙鑑定図面2記載の状態で転落した場合、亡眞孝の死体所見(損傷の部位、程度)、着衣及び左靴の破損状況は、幡多倉橋欄干破損場所の傷害物の状況と完全に一致する。
特に、亡眞孝の死体には、左前額部に体の軸に対して前後の擦過傷及び打撲と、左前額部に近い左頬上部には上下の方向の擦過傷があり、これらは、亡眞孝が前のめりで川に転落し、その際に左前額部を面前の傷害物にぶつけ、その後、体が真下に落ちたことにより生じたものである。本件現場には、幡多倉橋及び国道護岸の東側の堀川に水道管とその橋台が存在するから、亡眞孝が、本件現場から転落すれば、左前額部を面前にある水管橋にぶつけて、これにより体全体が真下方向に落下する可能性が大きく、本件現場の状況と亡眞孝の外傷の具合は整合する。
(4) 本件現場付近の潮流等による死体の移動可能性
亡眞孝の溺死体は、本件現場から東方の堀川水中で発見されており、亡眞孝の転落場所は本件現場と考えるのが自然である。
被告らは、付近の河川は潮流の影響が大きく、転落物はその転落地点に止まらず移動するとして、亡眞孝の死体も流されて本件現場付近の水中に到達したと主張するが、被告らは、人体とは形状も大きさも異なる物体の流動実験を根拠として右の主張をしているのであって推測に過ぎない。
被告らは、静止している死体には死斑が現れ、水流等により動かされる死体には死斑が現れにくいことから、死斑のない亡眞孝の死体は水中を移動していたのであって、本件現場付近の堀川水中を滞留していたのではないと主張するが、亡眞孝の死体は本件現場付近を回遊しながら、波間に上下していたため死斑が現れにくかったのであって、被告らの主張は理由がない。
(5) 亡眞孝の着衣に付着している泥土(ヘドロ)と現場付近の状況
被告らは、亡眞孝のズボンに転落時に付着した黄褐色の土が認められるが、本件現場付近の河床には黒色の土しかないと主張する。
しかし、本件現場付近の河床の表面には、右土と同じ黄褐色のヘドロ状の土が現存しているし、その下の土も、現在はないが当時は黄褐色の土があった。したがって、亡眞孝のズボンの土は亡眞孝が本件現場から転落した際に付着したものである。
(6) 本件事故と現場付近の痕跡
被告らは、本件現場付近の河床、水管橋等には、亡眞孝が当該場所から転落した痕跡が全くなく、亡眞孝の転落場所を本件現場と特定するのは不自然であると主張するが、それは当初、警察が十分に捜査を尽くさなかったから発見されていないに過ぎず、少なくとも当時は、水道管及びその橋台に亡眞孝の皮膚の表面がかすかに付着していたとみられる。
(7) 本件現場付近の明るさ、視界
被告らは、本件現場付近は、本件転落事故当時、歩行に支障がない程度に明るく、およそ亡眞孝が本件現場から転落したとは考えられないと主張する。
しかし、本件現場付近の明るさについては、その当夜、月は出ておらず、近辺に街灯等もほとんどなく、唯一本件現場から国道を隔てて北側のガソリンスタンドから漏れる明かりがあるだけで、本件現場付近はかなり暗く視界も悪かった。しかも、本件現場北側のガソリンスタンドから漏れる明かりは、本件現場付近を歩行する者の足元を照らすものではないので、明かりがあっても足元は見づらく、かえって歩行者は、ガソリンスタンドの照明に目が慣れて足元の暗い部分は見えにくくなる。亡眞孝は、その照明で青白く光った水道管を欄干と見間違え、誤って本件現場から転落したものである。
(8) 亡眞孝の経路と本件現場の関係
イ 亡眞孝は、本件転落事故前、前提事実3のとおり、高知市中心部の繁華街にあるスナックを出て、原告敬子と落ち合うために別紙地図記載の高知市菜園場町七番五号先の交差点南西角(F地点。以下「大蔵不動産前」という。)に向かう途中に川に転落した。本件現場は、右スナックから大蔵不動産前に向かう経路上(別紙地図記載の③及び④)にあるから、亡眞孝が、大蔵不動産前に向かう際、本件現場に差し掛かり本件欄干破損箇所から転落したと考えるのが相当である。
特に、亡眞孝は、日頃から原告敬子と大蔵不動産前で落ち合う場合、別紙地図記載③の経路を通っており、同③の経路により大蔵不動産前に向かう途中に本件現場から転落した可能性が高い。
ロ 被告らは、亡眞孝が大蔵不動産前に向かう場合、別紙地図及び同経路説明書記載①ないし⑤のいずれかの経路を通ることになり、そうすると、本件現場以外にも転落する可能性のある箇所が多数あると主張するが、右①ないし⑤の経路の途中を含め、歩行者が誤って転落しそうな箇所は本件現場の他になく、仮にあるとしても、亡眞孝の死体所見、着衣等の破損状況と合致する場所はない。
ハ 被告らは、亡眞孝が右③の経路を通り、国道の南側歩道を西から東に進行して、本件現場付近に差し掛かった場合、国道の南側の横断歩道を渡り、そのまま木屋橋をわたり、前記横断歩道の少し北東方向に位置する国道の南側歩道を通って大蔵不動産前に向かうのが自然であり、わざわざ本件欄干破損箇所に近づき転落したとは考え難いと主張する。
しかし、国道の南側歩道を右(南側)に寄って歩行した場合、そのまま直進すると本件欄干破損箇所の北端付近に直面し、亡眞孝が多少右(南側)方向に曲がりながら歩くと本件欄干破損箇所の中央あたりに直面することとなるため、同所から転落する可能性は大きい。
(9) 亡眞孝が本件現場から転落した場合、転落地点は国道護岸部分の欄干破損箇所か、幡多倉橋の欄干破損箇所か
前記(3)のとおり、亡眞孝の死体所見(損傷の部位、程度)、着衣及び左靴の破損状況から、亡眞孝は、幡多倉橋北詰東側の北端に存する石柱から南に約0.6メートルの地点に設置されている管理境界区分表示より南側の幡多倉橋欄干破損箇所(別紙鑑定図面1のA部分)から転落したと考えられる。
(二) 営造物管理責任
(1) 前記前提事実4のとおり、本件欄干は破損し、通りかかった歩行者が本件欄干破損箇所から下の堀川に転落する危険性は大きい。しかも、被告らは、本件欄干破損箇所を、その破損事故から本件転落事故発生まで一三日間、転落を防止する柵等を設置することなく放置していたのであって、被告高知市及び同国の管理をする幡多倉橋、国道護岸部分の各欄干は、通常備えるべき安全性を欠いており、被告らの管理の瑕疵は明らかである。
また、本件転落事故当時、仮に欄干破損部分に転落を防止する措置が施されていれば、亡眞孝の転落事故は容易に回避できたから、欄干の管理の瑕疵と亡眞孝の死亡との間には因果関係も認められる。
(2) 被告らは、国道護岸部分の欄干と幡多倉橋の欄干とは管理者が異なり、右欄干のどちらから転落したかによって責任の所在が異なると主張する。
しかし、国道護岸部分の欄干と幡多倉橋の欄干とは破損前に一体となって幡多倉橋北詰東側の欄干を構成し、その破損も右欄干に一体として生じており、被告らは、管理に関する境界区分にかかわらず、相互に本件欄干全体について国家賠償法二条一項に基づく管理責任を負う。
(3) 被告らは相互に、亡眞孝の転落箇所が相被告の管理する欄干破損部分であるとして、自己の管理する欄干部分に破損があっても本件転落事故との因果関係はないと主張する。
しかし、本件転落事故発生前に、被告高知市又は同国の一方だけでも、その管理する欄干破損部分に転落防止の柵等を設けていたならば、亡眞孝は、転落寸前に、その設けられた柵等に気付き放置された欄干破損部分から転落することはなかった。すなわち、相被告の管理する箇所から亡眞孝が転落したとしても、被告らは、そもそも自己の管理する破損部分だけでも応急措置等をしていれば、亡眞孝の転落は防げたのであって、その措置をしなかった管理の瑕疵と亡眞孝の転落事故との間には相当因果関係が認められる。
(三) 損害
(1) 亡眞孝の損害
合計一億〇五七一万六一一九円
イ 逸失利益
九〇七一万六一一九円
亡眞孝の逸失利益は、亡眞孝が本件事故時(当時四二歳)から定年六〇歳までの一七年間銀行で勤務し、その間毎年八三八万五五一四円の収入を得て、その後は、就労可能年限である六七歳まで稼働し、平成五年賃金センサス産業計、企業規模計、男子労働者、新大卒、年齢別平均給与のうち同年齢の男子労働者と同額の収入、すなわち、六〇歳から六四歳までの五年間は毎年七三二万四九〇〇円、六五歳から六七歳までの三年間は七三二万二四〇〇円を下らない収入を得るとして、それに生活費控除として年収の三〇パーセントを減じ、さらに新ホフマン係数により中間利息を控除して算出する。
(計算式)
8,385,514円×(1−0.3)×12.0769(17年の新ホフマン係数)≒70,889,709円
7,324,900円×(1−0.3)×(14.58−12.0769(22年の新ホフマン係数−17年の新ホフマン係数))≒12,834,470円
7,322,400円×(1−0.3)×(15.9441−14.58(25年の新ホフマン係数−22年の新ホフマン係数))≒6,991,940円
70,889,709円+12,834,470円+6,991,940円=90,716,119円
ロ 亡眞孝の慰謝料 一五〇〇万円
ハ 相続
原告敬子、同知秀、同昇秀及び同知佐は、それぞれ亡眞孝の右損害に対する賠償請求権を、原告敬子は二分の一、その余の三名は各六分の一ずつ相続した。
(2) 原告敬子の損害及び請求金額
合計六〇五五万八〇五九円
イ 固有の慰謝料 四〇〇万円
ロ 亡眞孝からの相続分
五二八五万八〇五九円
ハ 弁護士費用 三七〇万円
(3) 原告茂の損害及び請求金額
合計三八五万円
イ 固有の慰謝料 一五〇万円
ロ 葬儀費用 二〇〇万円
ハ 弁護士費用 三五万円
(4) 原告知秀、同昇秀及び同知佐の損害及び請求金額
それぞれ合計二〇九六万九三五三円
イ 固有の慰謝料 二〇〇万円
ロ 亡眞孝からの相続分
一七六一万九三五三円
ハ 弁護士費用 一三五万円
(四) 過失相殺
(1) 被告高知市は、亡眞孝が前方注視義務に違反し漫然と歩行していたために川に転落したと主張するが、本件現場は高知市中心部で繁華街に近く、歩行者はこのような本件現場に設置されている欄干が約4.7メートルも破損して放置されているとは全く予測できないし、当然橋、国道護岸には欄干が設置されていると信頼し、欄干があることを前提にして、特に橋上の路端等を注意しない。そうすると、歩行者が右信頼の下、特に注意することなく本件現場に差し掛かって、転落したとしても、当該歩行者に過失はない。
(2) 被告高知市は、亡眞孝が泥酔していたとして、亡眞孝の過失を主張するが、亡眞孝は軽度に酩酊していただけで、本件現場までふらつくこともなく歩行しており、通常の歩行者として前方注視義務を尽くせない程に酔っておらず、亡眞孝自身に過失はない。
仮に、亡眞孝が酔って前方注視義務を尽くせなかったとしても、歩行者の生命を守るべき欄干が、破損後一三日間も放置された瑕疵は重大であるし、そもそも前方注視義務を十分に尽くして本件現場付近を歩行していても、本件現場付近は暗くて見通しが極めて悪く、欄干の破損箇所を発見することは通常困難であり、それができても転落を回避できなかった可能性が大きく、したがって、右前方注視義務違反と事故発生との間に因果関係はなく、これがあるとしても前記事情のもとで、過失相殺することは、公平の原則を旨とする過失相殺の法理に反し適当でない。
2 被告ら
(一) 亡眞孝の転落場所
(1) 事故の特定
本件転落事故は亡眞孝の溺死に至る経緯に不明な部分が多く、被告らに賠償責任を課せられるほど事故の特定ができていない。強いていえば次のとおりである。
すなわち、亡眞孝は、原告敬子との待ち合わせ場所に向かう途中、平成六年一二月三〇日午前〇時ころ、堀川又は新堀川の何処かで、直接水中に転落して水を吸引し五分程で溺死したが、その死体は潮流の影響を受けて堀川、新堀川又は江ノ口川を移動し、本件現場付近に至ったところで発見された。
(2) 亡眞孝の転落から溺死までの経過時間
原告らは、亡眞孝が本件現場から、地表の露出していた河床に転落したことを前提に、転落から溺死までに一時間程掛かったと主張する。
しかしながら、①亡眞孝の死体の口にみられた細小白色泡沫は、溺死体一般にみられるものであって、原告らのいうような遷延性の溺死に限られるわけではないこと、②亡眞孝の左前額部には大きな瘤ができていないが、亡眞孝は当該部位を強く打撲しており、転落後一時間も生存していれば生体反応により同部位は相当に腫脹していたはずであること、③原告らは、亡眞孝が真冬の水につかりながらその死因がショック死でなく溺死であったのは、転落場所に当初水がなかった証左であると主張するが、水中に転落した者がショック状態を起こすとは限らず、特に、亡眞孝は、転落当時、上半身にウインドブレーカーを着込んでおり、堀川等の水中に直接転落しても体全身が直ちに冷却されないためショック死に至らなかった可能性も大きく、亡眞孝が溺死したからといって、亡眞孝が転落の際直接入水していないことにはならないこと、④溺死の場合、一般に入水から五ないし八分程で心臓の停止に至ることから、亡眞孝も転落して直接入水し五分程で溺死したと考えられる。
(3) 亡眞孝の外傷の状況と本件現場との整合性
イ 幡多倉橋北詰路面とその東側の河床との高低差は、約2.8メートルあり、本件転落当時、国道護岸の法尻と水道管の橋台の間の本件現場付近の河床は地表が露出し、その地表部分には欄干の破片等が散乱しており、亡眞孝が体勢を崩して転落し、地表に激突すれば、亡眞孝は全身を負傷し、骨折する可能性が大きい。
ところが、亡眞孝の死体には大きな外傷、骨折はなく、亡眞孝が本件欄干破損箇所から転落したとの原告主張と亡眞孝の外傷の状況とは矛盾する。
ロ 原告らは、亡眞孝の左前額部等の擦過傷は、本件現場の欄干破損部分の目前に水道管とその橋台が存したことから生じたと主張するが、護岸、橋上の路端の前面に障害物がある箇所は本件現場以外にもあるし、亡眞孝がその箇所から転落し右障害物に接触すれば、亡眞孝は右と同じ外傷を負うから、右擦過傷の存在が、本件現場を亡眞孝の転落箇所と特定することにならない。
ハ 原告らは、亡眞孝の外傷、着衣の損傷の具合は、本件現場の状況と一致すると主張するが、そもそも、亡眞孝の外傷、着衣の損傷は、転落前のトラブルによる可能性も否定できず、亡眞孝の外傷等が、本件現場を亡眞孝の転落箇所と特定することにならない。
(4) 本件現場付近の潮流等による死体の移動可能性
亡眞孝の死体は、転落後、潮の干満による潮流の影響を受け、堀川で発見されるまで水中を浮遊し堀川、新堀川及び江ノ口川を移動し続けていた可能性が高く、亡眞孝の溺死体が本件現場から東方の堀川水中で発見されたからといって、本件現場が当然に亡眞孝の転落場所と特定されるわけではなく、むしろ他の場所で転落して流されてきた可能性が高い。
(5) 亡眞孝の着衣に付着している泥土(ヘドロ)と現場付近の状況
亡眞孝の着ていたズボンの臀部部分及び下肢内側には、転落の際に付着した黄褐色のヘドロが認められる。ところが、本件現場付近の河床のヘドロ層及びその下には黒色の土しかなく、亡眞孝が本件現場付近から転落したとすれば、この点整合しない。
(6) 本件事故と現場付近の痕跡
亡眞孝の死体が浮いていた水中及びその付近には、人が転落した痕跡がない。水道管には、塗装の剥げた跡があるが、それは固いものが当たってできた痕跡で、その他に人が当たったような痕跡はない。
(7) 本件現場付近の照度、見通しと本件事故の関係
本件現場付近は、真夜中であっても歩行者が誤って転落するほど暗くはなく、亡眞孝が本件現場から転落した可能性はない。
すなわち、幡多倉橋は、高知市内のほぼ中心に位置し、同橋の北側を東西に通る国道は主要幹線道路であり、深夜でも本件現場周辺はかなり明るく、歩行者にとって足元付近の状況を確認することは困難でないから、亡眞孝が本件欄干の破損部分から転落したとは考え難い。
(8) 亡眞孝の経路と本件現場の関係
イ 原告らは、亡眞孝と原告敬子との待ち合わせ場所が大蔵不動産前であることを前提に、亡眞孝は本件現場付近を通ったと主張する。
しかし、大蔵不動産前は、亡眞孝が部下と最後に飲酒したスナック「AアンドA」からかなり距離があり、飲酒後真冬に待ち合わせる場所としては不自然である。
ロ 仮に大蔵不動産前を待ち合わせ場所としたとしても、亡眞孝が同所に向かう経路は、少なくとも別紙地図記載のように五通りあり、このうち亡眞孝が別紙地図①、②又は⑤の各経路を通れば、本件現場付近には至らない。特に別紙地図②の経路は大蔵不動産前に向かう経路のうち最短距離の経路であり、歩行者は通常この経路を通るはずである。
ハ 原告らは、本件事故当日、亡眞孝が③の経路を通っており、したがって、亡眞孝は本件現場から転落したと主張する。
しかし、歩行者が③の経路により、国道の南側歩道を西から東に進んで幡多倉橋北詰にある横断歩道(幡多倉橋を北進し国道と直角に交差する県道を横断する歩道)に差し掛かっても、国道の南側歩道とその横断歩道及び本件欄干破損箇所の位置関係、国道の南側歩道の南端にある電柱等の障害物の存在並びに国道から幡多倉橋に向かっては上り勾配となっていることなどからすると、国道の南側歩道を西から東に進行する歩行者が、そのまま横断歩道上を渡らず、わざわざ横断歩道より勾配の高くなる南側の幡多倉橋の方向に歩み寄って横断し、本件欄干破損箇所に近づいたとは考え難い。
その上、亡眞孝は、原告敬子と落ち合う際に、常に③の経路を通っていたならば、本件現場付近は熟知していたはずであり、亡眞孝が③の経路を通って、本件現場に近づき転落した可能性はない。
(9) 亡眞孝が本件現場から転落した場合、転落地点は国道護岸部分の欄干破損箇所か、幡多倉橋の欄干破損箇所か
イ 被告国
幡多倉橋北詰東側の北端に存する石柱から南に約0.6メートルの地点に設置されている管理境界区分表示より北側の国道石積み擁壁と水道管の橋台との間隔は、人が転落すればそのまま身動きできないほど狭くなっている。
亡眞孝が右地点に転落すれば、全身に打撲及び擦過傷を負うはずであるが、亡眞孝の死体にはそれほど大きな損傷がなく、亡眞孝が、右管理境界区分表示北側の欄干破損箇所から転落したとは考え難い。
ロ 被告高知市
亡眞孝が、③の経路により国道の南側歩道を西から東に進んで幡多倉橋北詰にある横断歩道に差し掛かった場合、右横断歩道の手前(西側)にある国道の南側歩道の位置と横断歩道との位置関係からすれば、そのまま右横断歩道を通行するのが自然であり、仮に亡眞孝が本件現場から転落したならば、右横断歩道により近い、管理境界区分表示北側の国道護岸部分の欄干破損箇所から転落したものと考えるべきである。
(二) 造営物管理責任
(1) 被告国
イ 幡多倉橋北詰東側の欄干は、被告高知市と同国が管理区分を明確にしてそれぞれ管理しており、管理責任(国家賠償法二条一項)の所在も判別されている。亡眞孝は、本件現場から転落したとしても、転落地点は前記管理境界表示の南側で、高知市管理区分内の幡多倉橋欄干の破損箇所である。
そうすると、被告国には、被告高知市の管理区分内の欄干の破損については管理責任がないし、国道護岸部分の欄干破損を放置することと亡眞孝の転落とは因果関係がないから、本件転落事故について責任はない。
ロ 原告らは、被告国が、その管理区分内の欄干を修補するなどして措置を講じておけば、亡眞孝はその派生的効用によって被告高知市の管理する幡多倉橋の欄干が破損していることを察知して転落を防げたと主張するが、それは偶然による事実上の効果であって、そのような可能性があるからといって、被告国が右の措置を講じなかったことに対し賠償責任を負う理由はない。
(2) 被告高知市
イ 亡眞孝が本件現場から転落したとしても、転落地点は、被告国が管理する国道護岸の欄干破損箇所からであり、被告高知市が、自己の管理区分内の幡多倉橋欄干破損を放置したことと亡眞孝の転落とは因果関係がなく、本件転落事故につての賠償責任を負わない。
ロ 被告高知市が、その管理区分内の欄干を修補するなどして措置を講じていれば、亡眞孝は被告国の管理区分内の欄干破損を察知し転落を防げたとしても、それは偶然による事実上の効果に過ぎない。
(三) 損害
争う。
(四) 過失相殺(被告高知市)
亡眞孝が本件欄干の破損部分から転落し、被告らに損害賠償責任があるとしても、本件転落事故の発生については、亡眞孝も泥酔の上、通常では近づくことのないはずの本件欄干破損箇所に接近する異常な歩き方をし、前方を注視していなかった重大な過失があり、その過失割合は八割を下らない。
四 争点
1 亡眞孝の転落場所(事故の特定)
(一) 亡眞孝の転落から溺死までの経過時間
(二) 亡眞孝の外傷の状況と本件現場との整合性
(三) 本件現場付近の潮流等による死体の移動可能性
(四) 亡眞孝の着衣に付着している泥土(ヘドロ)と現場付近の状況
(五) 本件事故と現場付近の痕跡
(六) 本件現場付近の照度、見通しと本件事故の関係
(七) 亡眞孝の経路と本件現場の関係
(八) 亡眞孝が本件現場から転落した場合、転落地点は国道護岸部分の欄干破損箇所か、幡多倉橋の欄干破損箇所か
2 造営物管理責任の有無
(一) 瑕疵と責任の所在
(二) 因果関係
3 損害の有無及びその評価額
4 過失相殺(亡眞孝の前方注視義務違反の有無及び程度)
第三 当裁判所の判断
一 亡眞孝の転落場所(事故の特定)
1 亡眞孝の転落から溺死までの経過時間
亡眞孝の死因が溺死であること、同人が転落したとされる時刻における本件現場付近の河床は地表が露出していたことは前提事実2及び5に記載のとおりである。したがって、原告らは、亡眞孝が水のない同所に転落後、意識を失っていた間に、満ちてきた潮を吸引し溺死した旨主張し、これに対し被告らは、亡眞孝が、直接水中に転落し、ただちに溺死した可能性のあることを主張する。そこでまず亡眞孝の転落から溺死までの時間について検討する。
(一) 証拠(甲二〇、証人矢野、証人上野)によれば、発見された亡眞孝の死体の鼻及び口からは、多量の細小白色泡沫が漏れていたことが認められる。これは、被告の主張するように、溺死体一般の典型的な外部所見ではある(丙一二、一三)が、同時に亡眞孝の死体所見において亡眞孝の鼻腔内にヘドロがかなり付着していたこと(甲二〇、証人矢野)からすると、亡眞孝が、一定時間継続して、ヘドロの混じった水を吸入したことが推認される。
(二) 証拠(甲二〇、証人上野)によれば、亡眞孝の左前額部の外傷は、当初クルミ大の擦過打撲傷を負った部分に鶏卵大の瘤が形成されているのが認められ、亡眞孝の左前額部は外傷後、時間の経過と共に生体反応によって腫脹したと認定することができる。
被告らは、亡眞孝の左前額部の擦り傷には外傷の割に腫脹がなく、亡眞孝は腫れる前に早々に溺死したと主張し、証人近森及び同矢野はそれに副う供述をする。しかし、証人近森が、亡眞孝の死体発見直後になされた検案に際し、亡眞孝が直接水中に転落してそのまま溺死したとの先入観を持っていたことは、同証人の自認するところであり、このため、同証人は、転落から溺死までの経過時間が約五分であることを前提として、時間の経過に伴う生体反応としての腫脹はあまりないと判断し、外傷の打撲の程度と腫脹の度合を区別して正確に観察しなかった疑いがある。そして証人矢野も証人近森を補助して死体検案にあたった者であり、その判断は証人近森の判断に従ったものであるから、その信用性も近森証言と同等である。以上の事情のもとでは、証人近森及び同矢野の各証言は採用できない。
(三) また、証拠(甲四九、証人上野)によれば、人が冷水の中に転落すると、体の表面の毛細血管が収縮して心臓に大きな負担を与えるため、急性の血液循環不全を引き起こし、同時に、気管や気道に冷水が入ると、気管や気道に浸入した水の冷たさによって呼吸及び心臓が停止するショック状態に陥りやすいこと、特に、飲酒後及び突発的な入水や冷水への入水は心臓麻痺を起こしやすいこと、本件転落事故は、前記前提事実2のとおり真冬の真夜中である平成六年一二月三〇日午前〇時ころ発生し、証拠(甲四八の1、2)によれば、その時の気温は摂氏約四度であったことなどからすると、仮に亡眞孝が堀川、新堀川等の水中に直接転落したとすれば、ただちに心停止、呼吸停止を引き起こし、直接の死因が溺死とはならない可能性が高い。
被告らは、亡眞孝が、上半身にウインドブレーカーを着込んでいたことから、冷水によるショック状態を引き起こし難いと主張するが、右主張は、そのような可能性があるというにとどまるに過ぎない。
(四) 右(一)ないし(三)を総合すれば、上野証言のとおり、水の吸入から溺死に至るまでやや時間がかかった可能性が高いこと、すなわち、亡眞孝が水の多量にあるところに転落し、ただちに溺死したのではなく、当初河床の地表が露出していた所に転落し、その後、同所に次第に潮が満ちて河床が水没したため溺死した可能性が高いと考えるべきである。
2 亡眞孝の外傷の状況と本件現場との整合性
(一) 亡眞孝の死体の損傷の状況及び着衣及び左靴の破損状況並びに汚泥の付着状況は、前記前提事実2記載のとおりである。これらの事実を総合し、本件現場の状況も把握した上でなされた鑑定人上野の鑑定結果(以下「上野鑑定」という。)は、これら死体の損傷状況等からして本件現場が転落場所であるとするものである。そこで以下、上野鑑定の手法及びその妥当性につき検討する。
(二) 上野鑑定は本件現場の事故当時の状況として、別紙鑑定図1のとおりであったとして、同所にさしかかった亡眞孝が、A縁石のない部分で、足をとられバランスを崩し、①水管橋に頭部を衝突させながら足から転落した場合、②体軸をほぼ水平にして転落した場合、③手、頭から転落した場合、④水管橋に頭部を衝突させることなく転落した場合、B縁石のある部分で、片足がこれにつまずいて、転落した場合、C縁石のある部分で両足がこれにつまずき、転落した場合等を想定し、亡眞孝の外傷と着衣等の損傷をもっともよく説明しうるものとして、A①の場合をあげ、詳しくその態様を推測している。
上野鑑定のポイントとなっているのは、死体左前額部擦過打撲傷、左頬上部擦過傷の存在及び前者が体の軸に対し前後方向に加わった傷であるのに対し、後者は体の軸に対し上下方向に加わった傷である点である。上野鑑定は右傷害形成の原因として、亡眞孝が何らかの原因で体のバランスを崩した際、前方に障害物があり、これにまず前額部を衝突させた後、体は左足を先にし川面に降下し、頭部が下にずり落ちて左頬の擦過傷を形成した可能性を指摘し、左手関節部(手首)の線状擦過傷と、左肩甲部の打撲傷もこの転倒の過程でこの前部の障害物によってできたものと想定する。そして頭部、顔面に右以外の外傷がないこと、左靴の縫合糸の切れ方、ズボンの汚泥の付着状況その他から、転落後左足がまず着地し、臀部、大腿部を河床に付けて、別紙鑑定図4のような姿勢をとっていたものと推認する。
(三) 以上のとおり、上野鑑定は、本件現場から一定の経緯をたどって転落したものと、鑑定しているが、同証人は、なお、本件現場以外の場所である木屋橋、菜園場橋付近もひととおり観察し、その上で、転落現場として考えられる場所は本件現場以外にないという。
(四) 上野鑑定は、前記のとおり、一応他の危険個所も観察した上で本件現場が転落場所であると推測しているのであるが、基本的には、本件現場からの転落を想定し、いわばこれを仮の命題とした上で、外傷、着衣損傷などの客観的事実と符合するか否かという、背理法の手法により、本件現場を事故現場と特定することで何ら矛盾が生じないことを明らかにするものである。上野鑑定につき、基礎にした資料の解析が十分でないとか、その推論の過程に誤りが存するといった事情は存しない。前記のとおり背理法的な推測である以上、この鑑定結果により、亡眞孝が本件現場から転落したことを確実に認定しうるものではないが、それにしても、上野鑑定が、本件現場が亡眞孝の転落場所であった可能性が高いことを推認させるものであることは疑いを容れない。
(五) 被告らは、橋上及び国道護岸の路面と河床の高低差及び本件現場付近の河床の状況から、亡眞孝が本件現場で転落すれば全身を負傷し、骨折するはずであり、本件現場は亡眞孝の転落場所ではないと主張する。
しかし、証拠(甲三一、三二、丙七の1ないし4)によれば、河床はヘドロ層及び泥土から形成されていることが認められ、前記前提事実3のとおり、亡眞孝は転落前に飲んだアルコールによって体が幾分柔らかくなっていたと推認され、亡眞孝が別紙鑑定図3記載の(一)ないし(五)付近に着地したならば、転落しても重傷を負わなかった可能性があり(証人近森、同矢野)、被告らの主張は必ずしも首肯できない。
被告らは、本件現場以外にも危険箇所があり、それらの場所で転落しても亡眞孝の死体所見等と整合するとか、そもそも亡眞孝の外傷、着衣の損傷は、川への転落によって生じたとは限らないと主張する。前記のとおり、亡眞孝の外傷の特徴は、左前額部の体の軸と前後方向の打撲擦過傷と、左頬上部の上下の方向の擦過傷であり、これらを形成させる障害物を伴い、なお転落の危険の想定される場所は、検証結果及び弁論の全趣旨によれば、本件現場周辺の堀川、新堀川に架かる橋及び護岸の中でも本件現場以外には存しないことが認められ、被告ら主張の危険個所の存在は、本件現場が転落場所である可能性を減殺するものではない。
また、証拠(証人矢野、原告茂)によれば、亡眞孝の死亡ないし外傷等が、他殺等犯罪の結果であるとは認め難く、自殺の可能性もおよそ考えられないことが認められ、亡眞孝の外傷、着衣の損傷が転落前の事件、事故によって生じた可能性はきわめて低いと考えられる。
3 本件現場付近の潮流等による死体の移動可能性
被告らは、堀川、新堀川は潮の干満の影響を受け、これらの川に落ちた物体は移動するため、亡眞孝の死体が本件現場付近で発見されたからといって、同所で亡眞孝が転落したとは限らない旨主張する。
証拠(甲九、一一、三〇、乙五、丙七の1ないし4、八の1ないし6、一二ないし一四、二三、証人近森、同松浦保雄(以下「松浦」という。)、原告茂)によれば、次の事実が認められる。
(一) 亡眞孝が転落したころの堀川及び新堀川の潮流は、干潮から満潮に移行する上げ潮の時間帯であったため、平均流速一時間当たり七五〇ないし一五〇〇メートル位で潮が流入し、その後、同日午前五時ころ満潮をむかえ、引き潮に転じた。
(二) 堀川周辺は上げ潮のため真水より重い海水が流入する。しかも亡眞孝の着ていたウインドブレーカーが空気を含むこともあって、発見当時亡眞孝の死体は、幡多倉橋北詰東側欄干支柱から東方約3.5メートル、木屋橋南端から南方約7.5メートルの堀川水中に浮かんでいた。
(三) 亡眞孝の死体には死斑がなかったが、溺死体は、波浪、流水等により体位が変わる状態であれば死斑は生じないとされている。また低温下では死斑が現われにくいともいわれている。
(四) 被告ら及び高知県警は、堀川、新堀川の護岸等から供試体を川に落とす流体実験を行なった。供試体は、潮の干満による潮流の影響を受け、堀川、新堀川及び江ノ口川を移動した。供試体を本件現場付近に落としても、堀川、新堀川及び江ノ口川を移動する例が多かったが、中には、そのまま本件現場付近に滞留し続けた例もあった。
以上の事実及び法医学上の所見を総合すると、亡眞孝の死体が、発見されるまで水中を浮遊し、堀川、新堀川及び江ノ口川の間を移動し続けていた可能性がないわけではないが、前記流動実験の結果は、その供試体と亡眞孝の死体とでは重さ、体積及び形状等が異なり(堀川のような浅い水中にあっては、死体の頭部、手足等が、河床に触れて、流動を阻むことも十分考えられる。)、供試体の流動状況と亡眞孝の移動状況を全く同じに考えることはできない上、右各流動実験の結果においても、本件現場付近に落下させた供試体が、その転落場所付近を回遊し上流、下流に流れ出なかったこともあったこと、また、死体が、一定水域を多少移動しながら波間を上下したり、水中内を回転していれば、それで体位が変わり死斑が現れない可能性もあることからすると、前記各事実から亡眞孝の死体が堀川等を移動し続けていた可能性が高いとは必ずしもいい難い。
4 亡眞孝の着衣に付着している泥土(ヘドロ)と本件現場付近の状況
証拠(甲九、一四の4、二〇、四一、乙六、八、検甲一、四)及び弁論の全趣旨(平成九年一二月二日付け原告ら準備書面参照)によれば、平成九年一二月において、幡多倉橋欄干破損箇所真下の河床の表土は、ヘドロ状の土で、専門家の鑑定するところ黒、黒褐色、暗赤褐色の土があるが、視認すると緑褐色とも見えること、幡多倉橋西隣の公園(別紙地図E地点)(以下「公園」という)の通路上には、平成九年六月において黄褐色の土があること、亡眞孝の履いていた靴の底及び側面には、死体検案時から、公園の土と同じ黄褐色の土が付着していたこと、亡眞孝の履いていたズボンの臀部、下肢内側にも、ヘドロ状の土が付着していたが、靴の底等に付着している黄褐色の土とは異なり、緑褐色であることが認められ、これらの認定事実を総合すると、亡眞孝の履いていた靴に付着していた土は公園の黄褐色の土と類似し、ズボンの臀部、下肢内側に付着している土は、幡多倉橋欄干破損箇所真下の河床の表土と類似しており、亡眞孝の靴の土は、亡眞孝が川に転落する前に土佐橋公園を歩行中に付着し、ズボンの臀部、下肢内側の土は亡眞孝が本件現場で転落した際に付着した可能性が大きいと認められる。
5 本件転落事故と本件現場付近の痕跡
証拠(甲八、九、証人矢野)によれば、高知県警は、本件転落事故当日、本件現場付近を捜査したが亡眞孝の転落した痕跡を発見できなかったことが認められ、証拠(甲九、三一、三二、証人矢野)によれば、亡眞孝の転落事故当時、本件現場付近の河床には前提事実4記載の本件欄干破損事故の際に破壊された欄干等の残骸がそのまま放置され、水管橋には自家用車が欄干と激突した際に部品の一部が飛び散って生じた損傷があり、本件現場は本件欄干破損事故の痕跡が残った状態にあったと認められ、当時、本件欄干破損事故と区別し、本件転落事故の痕跡を捜すことは困難な状況にあったと認められる。
しかも、証拠(証人上野)によれば、亡眞孝が、本件現場から転落した事故の痕跡があるとすれば、水道管及びその橋台に亡眞孝の皮膚の表面が微かに付着する程度に過ぎず、それを発見するためには、捜査する際に水道管及びその橋台等を目近にして調べる必要があると認められ、本件全証拠によっても、捜査を担当した警察官が右のような緻密な捜査をした事実は窺われない。従って、本件現場に転落事故の明瞭な痕跡が認められなかったことをもって、同所が転落場所であることについて疑義があるとまでいうことはできない。
また、被告らは、亡眞孝が落差約2.8メートルのところを落下し骨折していないことを前提に、転落して骨折しなかったのは本件現場付近の河床が柔らかいヘドロ及び軟土だったからであるとして、柔らかな河床に転落し足、尻餅の跡が残らないのは不自然であると主張する。しかし証拠(証人近森、同矢野、同上野)によれば、死体検案の際、医師は亡眞孝が直接水中に転落しそのまま溺死した先入観を持って検案にあたっていたため、十分に下肢の骨折を確認しなかったものと認められ、仮に、地表の露出している河床に転落した可能性を念頭に丁寧な触診をしていれば右膝及び踵等に骨折を発見できた可能性もあったこと、証拠(甲三一、三二、乙六、丙一一)によれば、河床に落下している壁高欄、親柱の泥土に埋没した状況から幡多倉橋、国道護岸と水管橋の間の河床に堆積しているヘドロ及び泥土の厚さは0.1ないし0.15メートルと推認され、このような状況において、亡眞孝が両手、両足及び臀部で着地し転落による衝撃を分散させていれば、亡眞孝の転落によりさして大きな穴はできず、しかも潮の満干によるヘドロ等の移動により右穴は埋められ、概ね転落跡が消失した可能性もあるため、本件転落事件後の捜査等で河床等に亡眞孝が転落した痕跡が見つかっていないことが、本件現場が亡眞孝の転落場所である可能性を大きく減殺するものとはいえない。
6 本件現場付近の照度、視界と本件事故の関係
証拠(甲三〇、乙二、四、丙四、一六ないし一八、二〇の1、2、証人松浦、同住江健一(以下「住江」という。))及び前提事実4を総合すれば、本件現場を直接照射する光源はなく暗いものの、本件現場周辺には、幡多倉橋北側の国道が主要幹線道路で、深夜でも車の通行があり、横断歩道橋の照明灯、道路照明、信号機の照明、幡多倉橋の国道を挟んで北側にあるガソリンスタンド(二四時間営業)の照明等があり、これらの照明によって視界が確保され、前方を注視して歩くには格別困難がないこと(原告らは、被告国が本件現場の光量を計測し、夜間の照度としては明るい6.2ルクスを測定したことについて、測定位置が不明であり信用できないと主張するが、右の測定位置は足元又は立位における視線の位置と推認されるところ、前記の横断歩道橋の照明灯等の光源は本件現場から県道、国道を隔てて一定の距離があるため、各照明灯等の光は適当に拡散され足元と立位の視線の位置で光量に差異はなく、原告らの主張は首肯できない。)、歩行者が西から東進中に本件現場に近づいた場合、本件現場東方向に川面上の暗黒の空間が広がり、その先も町外れとなるため暗く、その上、幡多倉橋、国道護岸の端から水道管の橋台との空間は幅0.5ないし0.9メートル、水道管の橋台は幅一メートル、その上の水道管は幅0.5メートルで、しかも水道管は青白く川面上の空間に浮き上がって見えるため、ともすれば路面と水管橋の間の川面上の空間に近くに来るまで気付かない状況にあるとも認められ、これらの認定を覆すに足る的確な証拠はない。
そうすると、本件現場の照度は、低速で進む歩行者にとって特に障害となるほど暗くなく、その点のみからすれば、本件現場から転落したとは考え難いものの、西方向から本件欄干破損箇所に向かって歩行した場合、夜間であれば、近くに来るまで川面上の空間と路面との区分が判別しづらい状況にあり、亡眞孝が本件現場から転落する可能性は存するというべきである。
7 亡眞孝の経路と本件現場の関係
(一) 亡眞孝と原告敬子との待ち合わせ場所
被告らは、真冬の待ち合わせ場所に大蔵不動産前を選ぶのは不自然、不適当であると主張する。
しかし、証拠(証人住江、原告茂)によれば、亡眞孝は、原告敬子に迎車を請う場合、通常、大蔵不動産前で落ち合うこととしており、本件転落事故当日も、亡眞孝は、飲酒先のスナックから自宅に居る原告敬子に電話を架けて、いつもどおり大蔵不動産前で落ち合うことを約束し、その上で帰宅するために右スナックを出たことが認められ、右認定に反する証拠はない。
従って、亡眞孝は、本件転落事故当日も、原告敬子と大蔵不動産前で待ち合わせ、行方不明時は同所に徒歩で向かう途中だったものと認定するのが相当である。
(二) 亡眞孝は、飲酒先のスナック「AアンドA」から大蔵不動産前へ向かう途中で川に転落したものと考えられ、本件現場は右スナックから大蔵不動産前に向かう幾つかの経路(例えば、別紙地図③、④の経路)の途中にある。ところが、被告らは、亡眞孝が本件転落事故当日、別紙地図③、④の経路を通り本件現場に接近したとは考えられないと主張し、その旨に副う内容の証拠(丙二、三、一九、二〇の1、2、原告茂(一部))もある。
確かに、右証拠によれば、そもそも最短距離の関係から、待ち合わせ場所に行くには、国道の北側を通行するのが自然であるし、歩行者が③の経路に沿って、国道の南側を歩く場合も、東進して幡多倉橋北詰にある横断歩道に差し掛かった場合、歩行者は右横断歩道を渡ってその東側にある歩道上をそのまま東進するのが自然であること、亡眞孝は転落場所付近の地理に詳しかったことが認められる。
しかし、右各証拠は、亡眞孝が本件転落事故当日、別紙地図②の経路を通る可能性の大きいこと、③の経路を歩行しても本件欄干破損箇所に接近するのは不自然であることを裏付けるものではあるが、亡眞孝が当日、国道の南側を東進したこと、本件欄干破損箇所に接近したことを全く否定するものではない。
ところで、前記4記載のとおり、亡眞孝の靴底等に付着していた土は黄褐色で、公園(別紙地図E地点)の土と類似している。その公園は、亡眞孝の飲酒先のスナックから別紙地図③の経路上の別紙地図D地点の料亭「得月楼」前から国道沿いに北東に進んだ土佐橋の袂が西端で、東端は幡多倉橋西側と接しており、公園を通り抜ければ大蔵不動産前に向かう近道となり(別紙地図⑥の経路)、しかも、弁論の全趣旨によれば、亡眞孝の飲酒していたスナックから大蔵不動産前へ向かう途中は高知市の中心部であって舗装されていることが認められ、これらの事実に照らせば、亡眞孝は、川に転落する前、大蔵不動産前に向かう途中に公園を通り抜け本件現場付近に至ったと認定するのが相当であり、前記各証拠は同認定を覆すものではないと判断される。
(三) そして、証拠(丙一、検証結果、原告茂)によれば、亡眞孝が右⑥の経路を通って大蔵不動産前に向かう場合、本件現場以外に、堀川、新堀川等に転落する危険性の認められる場所は見あたらない。
8 本件転落事故の特定
前記1ないし7のとおり、亡眞孝は、本件転落事故当時、別紙地図⑥の経路を通っていて、その⑥の経路には、本件現場以外には堀川、新堀川等に転落する可能性のある危険箇所はないこと、亡眞孝が本件現場で転落したと想定すれば、溺死に至る経緯、死体所見並びに着衣及び左靴の破損、ヘドロ付着状況が整合し、周辺で本件現場以外のこれらの点が整合する場所は見あたらないこと、その他、亡眞孝の転落場所が本件現場であることを否定する明確な証拠はないこと等を総合すると、亡眞孝の転落場所を本件現場と認定するのが相当である。
すなわち、右認定事実及び前提事実を総合すると、亡眞孝は、⑥の経路で大蔵不動産前に向かう途中、公園を通り抜け本件現場に差し掛かり、本来ならば、本件欄干の破損に気付き避けて通りすぎるところ、進行方向に十分な注意を払わないまま、本件欄干の破損部分に接近し、平成六年一二月三〇日午前〇時ころ、同所から転落し、その際頭部を強打して意識を失い、あるいは意識があっても体が動かせない状況に陥り、同日〇時五〇分過ぎ、上げ潮により河床が水没したことから、徐々に水を吸引し溺死したと認められる。
9 亡眞孝の転落地点は、国道護岸の欄干破損部分か、幡多倉橋の欄干破損部分か
本件現場における亡眞孝の転落地点は、前記前提事実2記載の死体所見(損傷の部位、程度)、着衣及び左靴の破損状況と整合する箇所と認定するのが相当であり、前記2記載のとおり別紙鑑定図1記載のAから水管橋に向かって亡眞孝は転落したものと認められる。右地点を詳論すれば、証拠(甲一、四二、四三、四四の1、2、丙五、一〇、二一、鑑定結果、証人上野)によれば、概ね被告国と同高知市との管理境界区分が表示されている管理境界板の設置箇所から南側部分の、水道管台の南端付近に位置し、別紙鑑定図1に記載されている車止めの北端のさらに北側の地点である。
よって、亡眞孝は、被告高知市の管理境界区分内にある幡多倉橋の欄干破損部分から転落したこととなる。
二 営造物管理責任の有無
1 前記前提事実4記載のとおり、被告高知市管理の欄干の破損箇所は長さ約4.1メートルであり、歩行者は当該箇所から転落する危険がある。本来欄干は歩行者等の転落を防止し、歩行者等の生命、身体の安全を護る構造物であり、特に、弁論の全趣旨によれば、本件現場は、高知市の中心部に位置し、昼夜歩行者もあるが、被告高知市は、本件欄干を、前記前提事実6のとおり、破損したまま約一二日間放置し、なんら転落事故防止のための措置をとっていなかったのであって、同被告の営造物の管理には瑕疵があったものというべきである。
被告高知市は、歩行者が本件欄干破損箇所から転落することは、本件欄干と歩道等の位置関係等から凡そ考えられず、亡眞孝が本件欄干破損箇所から転落したとしても、それは余程異常な行動によるものであり、亡眞孝の転落と管理の瑕疵との間には因果関係がないと主張するが、前記認定のとおり、亡眞孝は、現実に幡多倉橋の欄干破損箇所から転落しており、市街中心部に設置されている欄干が一〇日以上も、長さ約4.1メートルにわたって破損したまま放置されていたのであって、管理の瑕疵と亡眞孝の転落との間に因果関係があることを認めざるを得ない。
2 亡眞孝は、前記のとおり、被告高知市管理境界区分内の幡多倉橋欄干破損部分から転落しており、被告高知市の管理責任が認められることは明らかである。
原告らは、元来、国道護岸部分の欄干と幡多倉橋の欄干は一体として築造され、その後も一体となって幡多倉橋北詰東側の欄干を構成し、破損も一体として生じており、被告らは相互に欄干全体について管理責任を負うとして、被告国にも被告高知市管理区分内の欄干破損についての管理責任を主張しており、これについて検討する。
証拠(丙九、一〇、一八、二四、証人松浦)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。
(一) 破損する以前の本件欄干は、被告高知市の管理境界区分内の壁高欄、幡多倉橋親柱と、被告国の管理境界区分内の中間支柱、笠木とに物理的視覚的に判別が可能であった。
(二) 本件欄干の土台近くの路面縁部分には、従来から管理者を示す表示札が埋め込まれていた。
(三) 被告国とその他の公共団体が本来の管理範囲を跨いで構造物を構築する場合、トンネル等の巨大構造物については道路管理者間において管理協定書を締結し、管理復旧の方法及び費用負担等を定め管理責任を明らかにし、道路側溝等の一般的な構造物については、原則として管理協定書を作成せず、それぞれが管理境界内のみを管理するのが通例となっていて、本件欄干についても被告らは右管理協定書を取り交わしていなかった。
(四) 被告国は、平成五年三月ころ、国道及び国道護岸について管理の範囲を明らかにする国道管理平面図を作成していた。
(五) 本件では、被告高知市が、本件転落事故直後に警察からの連絡を受け応急措置として本件欄干破損箇所全体にガードレールを設けたが、その後、被告国は、自らの管理境界区分内に設置された右ガードレールだけをパイプ柵に代えた。
右認定事実を総合すると、本件欄干のうち国道護岸部分と幡多倉橋の部分は、物理的、視認的に区別でき、被告らは自らの管理境界区分内の構造物を、それぞれ管理していたものと認められ、被告国には、被告高知市管理区分内の本件欄干破損箇所、すなわち、幡多倉橋欄干の破損に関する管理責任はないものと判断するのが相当である。
3 原告らは、被告国が自己の管理する欄干破損部分に防護柵を設置するなどして瑕疵のない管理をしていれば、亡眞孝が転落することはなかったとして、国道護岸の欄干破損と亡眞孝の転落との因果関係が認められると主張するので、これについて検討する。
前記前提事実4記載のとおり、国道護岸の欄干破損部分は長さ0.6メートルに過ぎず、亡眞孝の転落箇所は前記一9記載の管理境界区分から南側部分の水道管台の南端付近のところであるから、被告国がその破損箇所に防護柵の応急措置を施していたとしても、亡眞孝が、当然に右防護柵の存在に気付き転落しなかったとはいえない。
また、被告国が、国道護岸の欄干破損部分を放置していても、被告高知市が幡多倉橋の欄干破損部分に防護柵等の措置をしていれば、本件転落事故は発生しなかったのは明らかであり、被告高知市による欄干破損箇所の管理懈怠が本件転落事故にとって本質的原因といえる。
そうすると、被告国による国道護岸についての管理懈怠と本件事故の間には因果関係を認めることはできず、亡眞孝の転落については被告高知市のみが責任を負うこととなる。
三 損害及び請求認容額
1 損害(弁護士費用を除く)
(一) 亡眞孝自身
(1) 逸失利益八七八八万三七七四円
証拠(甲四、六、七、原告茂)及び弁論の全趣旨によれば、亡眞孝は、死亡当時満四二歳で、大学卒業以来、銀行に勤務し、存命であれば、同銀行の退職年齢である六〇歳までの一七年間在職できたこと、平成六年度における年収は八三八万五五一四円だったことが認められる。そして、亡眞孝は、本件転落事故がなければ、銀行在職中少なくとも右年収と同額の収入が得られ、退職後も就労可能年限まで稼働し、平成五年賃金センサス産業計、企業規模計、男子労働者、新大卒、年齢別平均給与のうち同年齢の男子労働者と同額の収入、すなわち、六〇歳から六四歳までの五年間は、年収七三二万四九〇〇円、六五歳から六七歳までの三年間は、年収七三二万二四〇〇円を得られたものと推認することができる。
そこで、亡眞孝の逸失利益は、右各年収額を基礎に生活費を控除し、新ホフマン方式により年五分の割合による中間利息を控除して算出する。この年収から控除すべき生活費は、妻子を扶養する六〇歳までは年収の三〇パーセント、原告知秀ら子が独立する六〇歳以上は四〇パーセントを相当とする。
亡眞孝の逸失利益は、次の計算式のとおり、八七八八万三七七四円となる。
(計算式)
8,385,514円×(1−0.3)×12.0769(17年の新ホフマン係数)≒70,889,709円(円未満切捨て,以下同じ)
7,324,900円×(1−0.4)×(14.58−12.0769(22年の新ホフマン係数−17年の新ホフマン係数))≒11,000,974円
7,322,400円×(1−0.4)×(15.9441−14.58(25年の新ホフマン係数−22年の新ホフマン係数))≒5,993,091円
70,889,709円+11,000,974円+5,993,091円=87,883,774円
(2) 亡眞孝の慰謝料 一〇〇〇万円
順風満帆な人生半ばで妻子を残して突然絶命に至った精神的苦痛の大きさ、その他前記認定の本件転落事故の経緯等、本件にあらわれた諸般の事情を総合的に考慮すると、亡眞孝固有の慰謝料としては一〇〇〇万円が相当である。
(二) 原告敬子
固有の慰謝料 四〇〇万円
証拠(甲七、原告茂)及び弁論の全趣旨によれば、原告敬子は約一七年間亡眞孝と連れ添い、その間に三人の子をもうけ、円満に家庭を営んでいたと認められ、原告敬子が、突然夫で一家の支柱でもある亡眞孝を失った精神的苦痛の大きさは容易に推測されるから、それらに諸般の事情を考慮すると、原告敬子固有の慰謝料としては四〇〇万円が相当である。
(三) 原告茂
(1) 固有の慰謝料 一〇〇万円
証拠(甲六、原告茂)によれば、亡眞孝は原告茂の自慢の一人息子であることが認められ、これに本件転落事故の経緯等の本件にあらわれた諸般の事情を総合的に考慮すると、原告茂固有の慰謝料としては一〇〇万円が相当である。
(2) 葬儀費用 二〇〇万円
証拠(甲五1ないし7、原告茂)によれば、原告茂は、葬儀に関連する費用として約三七〇万円を支出したことが認められ、このうち本件転落事故と相当因果関係のある葬儀費用としては二〇〇万円が相当である。
(四) 原告知秀、同昇秀及び同知佐
固有の慰謝料 それぞれ二〇〇万円
証拠(甲七、原告茂)によれば、原告知秀ら三名は、亡眞孝の死亡時に、それぞれ中学三年生、同一年生、小学四年生であり、その成長には父親を必要とする年齢であったことが認められ、突然父親を失った精神的苦痛は大きく、更に諸般の事情を考慮すると、原告知秀ら三名の固有の慰謝料としてはそれぞれ二〇〇万円が相当である。
2 相続
(一) 前記前提事実1のとおり、原告敬子、同知秀、同昇秀及び同知佐は、それぞれ亡眞孝の相続財産を、原告敬子が持分二分の一、その他三名が持分六分の一ずつ相続するから、右四名は、右(一)記載の合計額九七八八万三七七四円の損害賠償請求債権のうち、原告敬子が四八九四万一八八七円、その他三名が一六三一万三九六二円をそれぞれ相続した。
(二) 小計
(1) 原告敬子
合計五二九四万一八八七円
亡眞孝から相続した損害賠償請求債権の金額は、前記のとおり四八九四万一八八七円であり、それに固有の慰謝料四〇〇万円を加えると合計五二九四万一八八七円となる。
(2) 原告茂 合計三〇〇万円
前記固有の慰謝料と葬儀費用を加えると合計三〇〇万円となる。
(3) 原告知秀、同昇秀及び同知佐
合計各一八三一万三九六二円
亡眞孝から相続した損害賠償請求債権の金額は、前記のとおりそれぞれ一六三一万三九六二円であり、それに固有の慰謝料二〇〇万円を加えると、合計各一八三一万三九六二円となる。
3 過失相殺(亡眞孝の前方注視義務違反の有無、程度)
(一) 亡眞孝は、前記7記載のとおり、別紙地図⑥の経路で公園を通り抜けて本件現場に至り、本件欄干破損箇所から転落しており、この転落の際の状況について検討する。
証拠(甲二九の2、証人住江、原告茂)によれば、亡眞孝は、このころ年末のため、業務は繁忙で、夜は忘年会に出席することも多く、昼夜共忙しい状態で疲労気味だったこと、当日も取引先の忘年会に出席し、その後スナック二軒で飲酒しており、軽度の酩酊状態であったことが認められ、それに、証拠(丙一九)及び弁論の全趣旨によれば、本件欄干が破損した日から亡眞孝が転落した日の一二日間に老若男女の多くの歩行者が本件現場付近を通行していたことが考えられるが、その期間中に欄干の破損や、交通事故の発生を通報した者もいないこと、証拠(原告茂)によれば、亡眞孝は慎重な性格で、本件現場付近も熟知しており、通常、橋上の路端にある本件欄干破損箇所に近づくことはありえないことを考え併せれば、亡眞孝は、本件現場に差し掛かったころ、アルコールの影響と疲労により注意力を欠き、漫然と歩行していたと認定するのが相当である(被告高知市は、亡眞孝が転落した当時、強い酩酊状態にあり、亡眞孝の血中アルコール濃度が1.23ミリグラム(甲二九の2)と軽度の酩酊しか表わしていないのは、その数値が死体検案時の数値、すなわち生体反応が消失した溺死時の数値だからであって、溺死時から約一時間前の転落時には右数値を相当超えていた可能性が大きいと主張する。しかし、血中アルコール濃度は、飲酒の量を継続した場合には、飲み終わった後、約二時間後に最も高くなることが多いのであって、亡眞孝がスナックを出てから転落するまで約二〇分しか経過していないことも考え併せれば、必ずしも溺死時よりも転落時の方が酩酊度合が強いとはいえない。)。
ところで、本件現場は、前記一の6記載のとおり、歩行者にとって特に障害となるほど暗くはないものの、光源の位置、水道管の存在などから、歩行者が西から東に向って本件現場に近づいた場合、間近にならなければ、国道護岸、幡多倉橋上の路面と水管橋の間の川面上の空間を判別しづらい状況にあり、前方を注視しなければそのまま転落する可能性も認められる。
そうすると、亡眞孝は、アルコールの影響等により注意力を欠いたまま、漫然と歩行し、右川面上の空間に気付かないまま、足を踏み外して転落したものと認定するのが相当である。
(二) 右認定事実を前提に、亡眞孝の前方注視義務違反について判断する。
そもそも、歩行者は、本来目前の道路の状況を一目瞭然に把握できるのであるから、静止している障害物であればこれを迂回することによって、障害物による危険を容易に回避することができる。市内中心部を通る道路でも、歩行中に障害物、段差、穴ぼこ及び側溝等に遭遇することはしばしば経験するところであり、歩行者は、その前方を注視して歩行しなければならないのであって、漫然とあるいは脇見をしていて道路上の障害物に衝突する等して受傷しても、これは自招事故というほかなく、道路管理者の責任を問うには至らない。まして、亡眞孝は成人であり、本来、前方を注視し、危険を回避する能力に欠けるところはなかった。
もちろん、夜間の歩行においては、視界不良で、前方を注視しても危険回避のできない場合も想定される。しかし、本件現場は、街灯等の光源により歩行するのに支障がない程度には視界が確保されており、歩行者は、進路を誤り本件欄干破損箇所に直面しても、前方を注視すれば川面上の空間に気付き、転落を回避しうる。すなわち、川面上の空間は、水道管の存在、川面上の暗闇の状況、破損していない欄干等の状況、幡多倉橋、国道及び国道北側のガソリンスタンド(二四時間営業)の位置関係から、その存在を容易に認知できるし、低速で歩行している歩行者にとって転落する前に停止することはきわめて容易なことである。
そして、亡眞孝がアルコール等の影響で注意力を欠いたまま歩行していたのは自分自身の事情に過ぎないことを考え併せると、亡眞孝の前方注視義務違反はあまりに軽率といわざるを得ない。
そうすると、原告らの主張するとおり、本件現場を通行する歩行者は、高知市中心部に在る幡多倉橋の欄干の破損を通常予測していないこと、本件は、交通量の比較的多い橋の欄干が破損されたまま放置されていたことにより生じた事故であり、第三者により欄干が破損されたとしても、市道をパトロールして欄干の破損を覚知し、本格的復旧までに簡易な柵を設ける等被告高知市において容易に転落防止のための措置を採りうるところ、これを一二日間にわたって放置していたという本件欄干の管理上の瑕疵を考慮しても、亡眞孝の過失割合は八割と判断するのが相当である。
(三) 過失相殺後の請求債権の金額は、前記認定のとおり、本件転落事故における亡眞孝の過失割合が八割であるから、前記2の(二)(三)の金額から八割を控除し、原告敬子が一〇五八万八三七七円、原告茂が六〇万円、原告知秀ら三名が各三六六万二七九二円となる。
4 弁護士費用
本件事案の性質、訴訟の経過、認容額等の諸般の事情を勘案すると、被告高知市の責任との間で相当因果関係が認められる弁護士費用は、原告敬子が一〇五万円、原告茂が六万円、原告知秀ら三名が各三六万円である。
5 総計
右2(二)(三)記載の小計額に過失相殺をし、さらに右4記載の弁護士費用を加えた合計額は、原告敬子が一一六三万八三七七円、原告茂が六六万円、原告知秀ら三名が各四〇二万二七九二円となる。
第四 結論
以上のとおりであるから、原告らの本訴請求は、被告高知市に対し、原告敬子が一一六三万八三七七円、同茂が六六万円、同知秀、同昇秀及び同知佐がそれぞれ四〇二万二七九二円並びにこれに対する亡眞孝死亡の日である平成六年一二月三〇日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金を求める限度で理由があるから、右限度でこれを認容し、その余の被告高知市に対する請求及び同国に対する請求は理由がないからいずれもこれらを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法六一条、六四条本文、六五条一項本文を、仮執行の宣言について同法二五九条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官水口雅資 裁判官三木昌之 裁判官遠藤浩太郎は、転補のため署名捺印ができない。裁判長裁判官水口雅資)
別紙構造図<省略>
別紙検証図<省略>
別紙平面図・横断図<省略>
別紙鑑定図1〜4<省略>
別紙経路説明書<省略>
別紙地図<省略>